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Club
KarmaのでDJ
Makotoの舞台裏
大阪
写真:The
Ocean聞提要 |
金曜日・平成17年2月11日
Club
Karma,
大阪,
日本
3月はマイアミビーチの素晴らしい人たちにとって特別な月だった。それは冬季音楽祭WMC(ウィンター・ミュージック・コンファランス)
が町に世界中からすごく有名なDJたちをつれてくるから。君がWMCをあまりよく知らないならWMCというのはDJたち音楽家たち、プロデューサーたち、すべての音楽業界の人たちが集まりマイアミで開かれる会議のことだ。そしてそこでは世界中の音楽についての最近の問題が討論される。しかし、年々WMCはすごいDJたちがマイアミに来る週ということと同義語になっている。そしてなぜ彼らが有名になったかを聴衆たちに知らしめている。WMCはたいていウルトラ・ミュージック・フェスティバルと呼ばれる盛大な野外のイベントから始まる。そこではあらゆる種類のエレクトロニックミュージックが聞ける。あらゆる種類のエレクトロニックミュージック?どういう意味かって?
エレクトロ二ックミュージックの世界には多くの違ったジャンルがある。ポール・バァン・ダイクやサシヤのようなDJに代表されるトランス系、DJシャドウのヒップホップ系、モービとケミカルブラザーズのハウス系などだ。エレクトロニックいいかえればアメリカのエレクトロニックの世界には全く新しいもう一つのジャンルがある。この特別なジャンルはドラムンベースと呼ばれる。
ドラムンベースはもともと90年代半ばのイギリスで誕生しそののち世界を席捲した。 特にあるレコード会社がこの音楽ジャンルに対する世界の見方を変えた。それはグッド・ルッキング・レコーズだ。この音楽革命にもっとも貢献したのはグッド・ルッキング・レコーズの創設者のLTJブカムだ。ドラムンベースに対する彼のスタイルはニューヨークのマイナーなDJのサークルからロンドンのストリートに至るまでのリスナーたちをひきつけた。マイアミに住んで僕は何回もウルトラ・ミュージック・フェスティバルに行った。そこでは沢山のドラムンベースのDJたちがセットしていた。でも僕はなぜこのタイプの音楽が世界中で人気があるのか、分からなかった。息苦しいほど混んできたトランスの部屋から逃れ、ビールをのみながらのんびりするために僕はクラブ内の別の部屋に行った。その部屋でドラムンベースのDJがセットしていた。でも群衆は誰も彼に注意を払っていなかった。その時僕はこのジャンルの音楽を学びたかったら、その音楽が人気のある場所へ行くべきだと思った。そしてこの好奇心が日本の大阪の中心にあるクラブカルマへと僕を導いた。
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DJ
Makoto、Club
Karmaで演奏中
大阪
写真:The
Ocean聞提要 |
ドラムンベースとは果たして何か? 毎日聞かれる普通の音楽とドラムンベースの最大の違いは1分間のビートである。例えば、エミネムのJust
Lose
Itは1分間に121ビートという非常な速さである。そしてたいていの曲と比べると速い。しかし1分間に160以上のビートと比べるとそれはほとんど公園で歩いている老人とカールルイスを比べるようなものである。日本にはドラムンベースのヒーローがいる。 LTJブカムの会社グッド・ルッキング・レコーズが彼と契約しているのだがDJのマコトとして知られている。東京に住む清水マコトは大学でアコースティックエンジニアリングを専攻した。そして1998年の初期にLTJブカムのグループに入った。その時から有名なアースアルバム、プログレッションセッションミックスアルバム(そこでは他の人たちが色々の人の音楽をミックスする)、そして2003年にリリースされたHuman
Elementsという彼のオリジナルアルバムのために多くの曲を作ってきた。
彼はまた他の人たちの音楽をミックスしたプロクレッションアルバムを2つ出している日本にベースをおく唯一のアーティストである。結局DJマコトが日本のどんな他のアーティストよりもドラムンベースに大きな貢献をしたのは間違いない。2月のはじめに、どうして人気があるかを知るチャンスがあった。端的に言えばマイアミのショーとはかなり違っていた。クラブカルマという会場は暗くなったらナイトクラブに変わる喫茶店だ。そんな小さな会場でドラムンベースのショーをするのはおかしいと思えたでも親切クラブバルマの千鶴さんは「意外に広いわよ。」と言ってくれたが驚いたことに、外から見るとたんすのように見える部屋が実際はDJブースとダンスフロアーがあるとても広い空間だった。マコトが到着した時クラブは そこにいる人たちは踊っていた。僕がマイアミで見た部屋のようだった。でもこれがメインの部屋だった。マコトが彼のセットをはじめてすぐに人々がじょじょに入ってきた。10分後にはその場はかなり込んできて彼がオリジナル曲のSo
Freeにいくころには部屋中ビートに合わせて踊る人たちですしづめだった。人々は目をとじて曲にのっていた。それは自由であると美しく感じた。マコトのステージを見るとDJが聴衆に及ぼす力を見ることが出来る。
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DJ
Makoto、
Club
Karmaで演奏中a
大阪
写真:The
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彼らはマコトのかもし出すに全てのビートのっていた。彼がレコードをとめたりペースを落とすと群衆はすぐに反応した。それはまるで誰かが聴衆に息をさせたり、のどをしめつけたり、また息をさせたりしているかのようだった。彼のセットを盛り上げる視覚的なものはあまりなかった。でも他のDJたちは熱心に彼のセットを見ていた。実際、ブースの後ろには他の5人のDJがいて、彼の技術を学んでいるようだった。彼のセットの終わりには2時間のエアロビクスを終えたような人々でいっぱいだった。汗の匂いと荒い呼吸声だけがのこった。でも皆は大満足だっだ。
ショーの後マコトは僕に写真を撮ってインタビューをする時間をさいてくれた。彼は僕にどうやってドラムンベースDJになったかを説明してくれた。マコトは生まれてからいつも音楽を聴いていた。ドラムンベースに出会う前には彼はマービン・ゲイとか、カーティス・メイフィルドとか、リロイ・ハドソンのような音楽家に夢中だった。彼はプログレッション・セッションズのショーで初めてドラムンベースに出会った。LTJブカムが発するエネルギーに接してマコトはこれこそが彼が作りたかった種類の音楽だと思った。だからLTJブカムにデモテープを送った。グッド・ルッキング・レコーズのウェブサイトで、マコトはどのようにして彼とLTJブカムの関係が始まったかをこう回想している。「俺はグッド・ルッキングにデモテープを送った。そしてブカムからすぐに返事が来た。彼はビートをもっとすっきりさせてアレンジを加えるように俺に言った。とても嬉しくてまるで夢のようだった。それから俺たちはお互いに連絡し合い音楽について話し合うようになった。こうしてグッド・ルッキングと契約した。」
マコトはマイアミを含むアメリカ中でショーをした。僕が彼にWMCのことを話した時、彼は僕が何を言いたいかちゃんと分かっていた。彼はWMCで演奏したことないけれどいつか絶対したいと思っていた。マコトと話すと僕には彼は自分の音楽に情熱を持っていると僕は感じた。DJとは他の人の音楽をかけているだけでそれが彼らのすることのすべてだと思っている人もいる。マコトの場合は音楽をかけるのと同じくらい作曲している。そしてジャズや他のジャンルの音楽をよく知っているゆえに彼はドラムンベースのジャンル内外の他のDJたちよりあきらかに有利である。
この音楽が世界の他の場所でインパクトがあるならなぜマイアミはまだそれを感じることが出来ないのか?答えはまだ分からないでもドラムンベースに関する1番いいことはルールがないことだ。説明書はないけれどドラムンベースは自由だ。なぜなら誰もまだそれを作ってないから。他のジャンルはそんなに自由じゃない。ロニ・サイズや彼のスタッフ、ファビオやグルーブライダのような先駆者、グッド・ルッキング・レコーズのすごい人たち、決してくじけなかったすごく才能ある人たちのおかげで今僕のような人たちが世界中でタワーレコードに入って最新の曲を手にとれるのだ。その人たちがヒーローだ。 |